東大が発見 噴火による堆積物から建物 ローマ初代皇帝の別荘か www3.nhk.or.jp/news/html/2024… #nhk_news
以下、小説 新人間革命7巻 早春の章より引用 約千九百年前――このヴェスヴィオの 大噴火によって、ポンペイの時計は止まってしまっていた。 当時、ポンペイの人口は約二万人。死亡したのは、そのうちの一割、二千人程度と推定されている。 ポンペイは、紀元七九年の大噴火の十七年前にも、大地震で甚大な被害を受けており、あちこちに傷跡が残っていた。そこに大噴火が起こったのである。 山本伸一の胸には、小説『ポンペイ最後の日』のクライマックスの光景が、生き生きと蘇ってきた。 ――淫蕩な偽聖者アーバシズのワナによって、無実の罪を着せられ、闘技場で猛獣の餌食にならんとする主人公の青年グローカス。 それを平然と眺める悪人アーバシズ。真実を知らず、残虐な見世物を待ちわびるポンペイ市民たち。 そこへ、アーバシズの悪事を告発する証人が現れ、場面は緊迫する……。 まさにその時、ヴェスヴィオ火山が大噴火する。 「松の巨木のような形で煙の柱が見えた。その幹は黒煙であり、その枝は白熱の火であった。 その輝きは一瞬のあいだ赤く薄れるかとみると、たちまちまた激しい光を見せて、天にほとばしり、刻々にその形と色を変えていた」 大地が激しく揺れ、黒煙に覆われた空から、火山灰や軽石が降りしきった。 富豪も貧者も、市民も奴隷も、男も女も、老いも若きも、まったく区別なしに、一瞬のうちに生死の境に突き落とされてしまったのである。 この大混乱に乗じて、″今こそひともうけする時だ″と、財物の略奪に夢中になり、逃げられなくなった愚かな男がいる。 息子が父親を打ち倒して、その財布を奪うという非道な場面もある。 だが、そこで見られたのは、人間の卑しい行状ばかりではなかった。このパニック状態のなかでも、燦然と輝く、気高く、高貴な人間の振る舞いがあった。 それは、友を気遣う心であり、危険を顧みず、人を助ける勇気であった。 たとえば、盲目の少女ニディアが、奇跡的に再会したグローカスとその恋人アイオンを、決死の思いで導く姿のように……。 リットン卿の筆は、極限状態における人間模様を鮮烈に描き出してやまない。 ところで、今日では、発見された遺体や堆積物の様子から、被災の状況もかなりわかってきている。 それによると、ヴェスヴィオ火山の噴火は翌日まで続き、軽石及び火山灰が数メートルも降り積もった。 また、この間、数度にわたって、細かい灰を含んだ高温の爆風や火砕流が、瀕死の街を襲ったようだ。 助かった人びとは、おそらく取るものも取りあえず避難したのであろう。 街が軽石などに埋もれ、身動きもできなくなるまでには、まだ、時間の余裕があったはずだからである。 一方、噴火で亡くなった人びとには、富裕な階層や、その家で働いていた人が多かったようだ。 豪邸を離れるのをためらったり、財産を持ち出すために時間がかかり、逃げるチャンスを逸してしまったのであろう。 金貨や銀貨、装身具などを持ったまま息絶えた人もいた。 また、堅固な家や地下室で災難の治まるのを待とうとして、かえって崩れてきた屋根の下敷きになったり、高温の爆風の犠牲になった人びともいた。 山本伸一は、路傍の石に腰を下ろすと、同行のメンバーに語り始めた。 「『ポンペイ最後の日』は、人間にとって、人生にとって、何が最も大切かという、根本問題を問いかけているように思える。 小説では、この世の終わりのような大惨事のなかでも、神の下の永遠の生命を信じて、従容として振る舞う、キリスト教徒オリントスの姿が描かれている。 実際には、当時、キリスト教は、まだ、ポンペイにほとんど広まっていなかったようだが、リットン卿は、オリントスのような姿を通して、人生の根本問題や、本当の宗教というものの在り方を語ろうとしたのであろう。 どんな人であれ、生死の苦悩から逃れることはできない。世界中から金銀財宝を集めても、どんなに地位があり、権力をもっていても、この問題だけは決して解決できない。 大聖人は『世間に人の恐るる者は火炎の中と刀剣の影と此身の死するとなるべし』と仰せになっているが、誰でも死ぬのは怖いし、また、それほど大事なものが生命といえる。 だからこそ、その大切な生命を何のために使うのか――ここが焦点だよ。 ところが、人間は、ともすれば、この根本問題から目をそらして、眼前の楽しみや利害に心を奪われ、流されていってしまう。残念なことだ。 しかし、私たちは、日蓮大聖人の仏法を持ち、地涌の菩薩の使命を自覚して、人類を救うため、広宣流布のために働いている。 最も大切な生命を、最も崇高な目的のために使う、最高の人生なのだ」