立憲民主党の岡田幹事長にしても維新の会の河村さんにしてもそうですが、他人を想い、願い、祈る、そんな行為を選挙の無駄と表現するのはいかがなものかと思います。 為書きは政治家以外からも貰いますし、そこに込められている想いを無駄と切り捨てているのと変わらないと私は思います。
立憲民主党の岡田幹事長にしても維新の会の河村さんにしてもそうですが、他人を想い、願い、祈る、そんな行為を選挙の無駄と表現するのはいかがなものかと思います。 為書きは政治家以外からも貰いますし、そこに込められている想いを無駄と切り捨てているのと変わらないと私は思います。
@nozaki_ryuta 無駄と切り捨てるつもりはありません。自分自身は為書は選挙の風物詩だと思っていましたから、なくなるのは寂しいな、と思っています。様々なご意見は大いに尊重いたしますし、皆さんの合意のもとに為書文化がデジタルやデザイン性豊かなものに変わっていくものなのしれないな、と思っています。
@kawamurakenich5 丁寧なご返信ありがとうございます。 地方選挙と国政選挙では有権者との距離や意味合いが違うのかも知れませんが、党派を超え、時には政治家でもない人から「候補者となる〇〇さんの為に書かれた」ものであり、少なくとも党や他人が高所から不要論や無駄を唱えるものではないと私は考えています。