1947年、未熟児として生まれる ↓ 1歳の時、福井地震が発生し、家は倒壊 ↓ 気絶して倒れるも、観音開きになった仏壇が落ちてきて守られ助かる ↓ 上京して教師になることを夢見ていたが、父が病で倒れたことを機に、地元の信用金庫に就職 ↓ 別の信用金庫に努めていた男性と出会い、結婚 ↓ ↓ ↓ 47歳の時、夫の経営する事業のひとつ、ホテル部門を任され社長に就任 ↓ 事業規模はまだ小さく、赤字スレスレ ↓ 石川県の小さなホテルを会場にした社長就任式で声高らかに宣言、 ↓ 「私はホテル業界のジャンヌ・ダルクになります!」 ↓ 拍手もなく会場はシーン…しらけムードに… ↓ ↓ ↓ それでも臆することなく、責務を全うすることを誓う ↓ 「せっかくもらったチャンス、絶対にものにする!」 ↓ ホテルの存在を知ってもらうために、自分には何ができるのか ↓ ひたすら考え、悩み抜く ↓ ↓ ↓ そこでとった戦略が、”自分自身が広告塔となる” こと ↓ 当時、海外では経営者が自分の顔を新聞などに大きく出し、会社のことを語るのは当たり前のことだった ↓ その透明性の高いスタイルを取り入れ実践しよう! ↓ ↓ ↓ 1994年、派手な衣装を着てほほ笑む広告を出す ↓ 日経新聞の一面や電車の中づり広告、ビル看板まで一気にジャック ↓ ある大学の教授からは「公共の福祉に反する」とまで言われる ↓ とにかくたくさんのクレームが殺到 ↓ ↓ ↓ しかしこの反応は想定内で狙い通り ↓ 「私が社長です」のキャッチコピーは瞬く間に広がり、 ↓ メディアにも大量露出することで、ホテルの知名度は一気に上がる ↓ ↓ ↓ それでもホテルに直接届いた誹謗中傷のクレームの手紙は数えきれないほど ↓ その一通一通に自ら目を通し、すべての手紙に返信 ↓ ホテルの "無料宿泊券" を同封し、文末にはこんな言葉を添えた、 「ご意見ありがとうございます、よろしければぜひ私に会いに来てください、そうしたら、きっと好きになっていただけると思います」と ↓ ↓ ↓ 一度でもお越しいただき会っていただければ、ホテルのことも自分のことも好きになっていただける ↓ その自信があったからこその行動だった ↓ ↓ ↓ 石川県金沢の小さなホテルから始まった事業は、現在421ホテル、69,433室、年間宿泊数は約1,252万名という国内最大級のホテルチェーンとなった。 「逆風でもいいから風が吹けば、ジグザグしながらも前に進める。人生は、追い風でも逆風でも上手く操舵していけばいい」そう語るのが、 アパホテル株式会社 取締役社長 元谷 芙美子さん!
なんと! このツイートが12時間で、一気に100万人に拡散されました! ふだんは、 "経営者、著名人のほんわかあったかエピソード"を発信しています。 この投稿が参考になりましたら、 @Ptaro_chan をフォローしていただけるとすごく励みになります! フォローよろしくお願いします!!!
@Ptaro_chan 未だにご自身の顔で宣伝🙆♀️ 素晴らしいですよね✨️✨️✨️ アパ社長グッズも次から次へと▶️